春の歌・第1章 「シンデレラエクスプレス」
東京駅新幹線ホーム。仙台行き最終列車のアナウンスが流れていた。
「真里・・・」
「もういいよ。明日も仕事なんでしょ?早く帰らないと明日に響くよ・・・・」
”シンデレラエクスプレス”を見送るカップル。どこにでもある風景。そして私たちもその中の一人。
「また来月、会えるよな?」
私は黙ってるだけだった。会えるのは嬉しいけど、この別れが辛い。こうして会ってもまた一人の寂しい時間が戻ると切なくなる・・・・出来ればもうこんな辛い思いはしたくない・・・
「あーっ!ごめん!私もう中に入るねっ!」
「え?真里?どうしたの?」
突然のことに慌てる彼。私はそんな彼にそっと耳打ちをした。
「ト・イ・レ。も〜、女の子に何言わせるの!お腹痛くなったの。じゃ、急ぐね!」
私は呆気に取られる彼の顔も見ずに新幹線へと飛び乗った。程なく出発を知らせるベルが鳴った。
私はデッキの陰から彼の様子をこっそりと見ていた。困惑と寂しさの混じったなんとも言えない複雑な表情をしていた。
なんか胸がきゅっと締め付けられるようになった。
私はいたたまれなくなり、トイレに入った。次から次へと止めど無く溢れる涙。
「うっ、ぐっ・・・・ひっく・・・・」
私は顔中が崩れるかぐらい泣きじゃくっていた。しばらくして、ドアを叩く音に気付きはっとした。鏡を見るとありえないぐらいの泣き顔でぼろぼろだった。
私は慌ててトイレから飛び出た。外で三十台半ばの男性が怪訝そうな顔で私を睨んでいた。しかも少し酔っ払い気味で。
私は男性に軽く頭を下げて立ち去ろうとした。
「おいこら待てよ。人を散々待たせといてその態度か?ふざけるな!」
男が私に近寄ろうとした時、誰かが男の背中を引っ張った。小学校中学年ぐらいの小さな子供だった。
「ん?なんだこのガキ?」
子供はただ黙って男を睨みつけていた。男が子供に手を上げようとした時子供が大きな声で泣き出した。
タイミング良く車掌さんが通りかかった。
「どうかしましたか?」
男はばつが悪そうにその場を立ち去った。
「ねえ、僕?大丈夫?」
私が子供の頭をなでようとした時、子供は舌をだしてにっこりと笑った。
「うまくいった?」
私と子供はお互いにくすっと笑った。
ビュッフェ席のカウンター。私と子供は流れる景色を見ながら窓際の席に座っていた。
「ねえ僕、オレンジジュースでいいかな?私からのごほうび♪」
「さっきは助けてくれてありがとう。そういえば、自己紹介してないね。私は真里。矢口真里。僕は?」
「航太。尾崎航太。今日から尾崎って名乗るんだ・・・」
航太の話に不思議そうに聞いてた私。でも、航太のこのあとの話で全てが納得できた。そして凄いショックを覚えた。
航太の両親は若くして結婚したが、すぐに離婚して父親が家を出ていった。母親と二人暮しをしていたが、母親がアルコール中毒になり、育児能力に欠けてると判断して仙台の里親に預けられる事となった。
「今度行くところのおばちゃん、体がでっかくておっかなそうだけど、すごく面白いおばちゃんなんだよ。」
私は明るそうに話す航太の話を黙って聞く事しか出来なかった。
「あのね。僕がお母さんと離れてしまったのは・・・僕が弱かったからなんだ。だから、大きくなって僕が強くなったらお母さんを迎えに行くんだ。」
私は思わず航太を強く抱きしめてた。こんな小さな子供が母親と別れて暮らすのに我慢してる。
でも、私はいつでも彼と会えるのに、毎回の別れの時間が辛くて逃げ出そうとしている・・・・
航太のけなげさと自分の情けなさに泣かずにはいられなかった。
「お姉ちゃん・・・・痛いよ・・・・」
「ゴメン、ちょっとだけこうさせて・・・・」
新幹線は福島を過ぎ、間もなく終点の仙台に着こうとしていた。
「ゴメンね。痛かったでしょ。」
「ううん、大丈夫。あのねお姉ちゃん、お姉ちゃんにぎゅっとされた時お母さんと同じ匂いがしたんだ。暖かくて甘い匂いが。」
「へー、なんか恥かしいな・・・・ねえ、航太のお母さんってどんな人なの?」
私は言った瞬間はっとしてしまった。でも航太は笑顔のまま答えた。
「う〜ん、優しくてあったかくて、それと料理が上手なんだ。」
「そっか、なんか私と似てるかも。料理はあんまり上手くないけどね。」
私と航太はお互いの顔を見てぷっと吹き出した。
車内のアナウンスが間もなく仙台に到着する事を知らせた。
「航太、航太ならすぐにお母さんを迎えに行けるよ。だって航太もう強い男だもん。私を守ってくれたもん。」
「ありがとうお姉ちゃん。お姉ちゃんも強くなれよ。お姉ちゃん泣き虫だから。」
航太は舌をぺろっと出して笑った。私はそんな航太の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
そして列車は仙台に着いた。
「じゃあ、私はこっちだから。航太は大丈夫。一人で行ける?」
「大丈夫だよ。下でおばちゃんが待ってるから。お姉ちゃん元気でね。それじゃバイバイ。」
航太は背を向けて反対側に歩き出そうとした。私は航太の手を引きこちらに向かせた。そして・・・・
「お姉ちゃん・・・・・」
「航太が強い男になってお母さんを迎えに行けるためのおまじない。よく効くんだからね。」
私は航太のほっぺに軽くキスをした。航太のほほが真っ赤になるのが分かった。
「じゃ、じゃあもう行くからね!」
航太は駆けるように階段に向かって行った。そして、階段を降りる手前で振り返った。
「お姉ちゃんありがとう!お姉ちゃんも元気でね!」
航太は両手をちぎれんばかりに大きく手を振った。私はそれに答えるように航太が見えなくなるまで手を振り返した。
私はふっと一息ため息をついた。携帯にメールが届いた。彼からだった。
「真里、お腹の具合は大丈夫?真里はすぐお腹壊すし、氷を食べ過ぎるし・・・・あ〜、もう心配だよ・・・」
「まったくぅ・・・心配性なんだから・・・・・」
私は少し呆れ気味に微笑んだ。そしてすぐに真剣な表情をして返事のメールを打った。
「あのね。私決めたんだ。これからもずっとあなたの側にいたい・・・・・迷惑だと思うけど・・・この気持ちは抑え切れないの。いろいろ迷ったけど、もう逃げない。こんな私だけど、これからもよろしくね。」
駅前に出ると冷たい突風が私を打ちつけた。もうすぐ長い冬の終わりが来る。
吹きつける風はまだ冷たい。でも、私の心の中には少し早く春の始まりが訪れようとしていた。
(おしまい)